
- 東京工芸大学 写大ギャラリー | 東京都
「ウィン・バロック写真展 追想(2025→1975)」
- 2025/6/13(Fri)〜8/6(Wed) 開催中
〔写真展概要〕
本展は、写大ギャラリー設立50周年を記念して、1975年に写大ギャラリーこけら落としの展覧会として個展を開催したウィン・バロック(Wynn Bullock, 1902-1975)の作品を展示するものです。
ウィン・バロックはアメリカ、シカゴに生まれ、高校卒業後、音楽の道に進むためニューヨークに移りました。1920年代半ばにはヨーロッパにて声楽を学び、プロのテノ―ル歌手として活躍しました。パリに滞在中、印象派とポスト印象派の作品に魅了され、その後、マン・レイ(Man Ray, 1890-1976)やラズロ・モホリ=ナギ(Moholy-Nagy László, 1895-1946)の作品に出会い、写真を始めます。1938年、36歳にしてロサンゼルスのアート・センター・スクールにて本格的に写真を学び、卒業後は商業写真家として活動する傍ら、ソラリゼーション等の実験写真を制作しました。1948年にエドワード・ウェストン(Edward Weston, 1886-1958)に出会い、その影響を強く受け、ストレートな写真に傾倒します。8×10インチの大型カメラを使って、自宅近くの風景を舞台に撮影を行い、美しく諧調豊かなモノクロプリントを制作したことで知られています。
1955年にニューヨーク近代美術館の開館25周年を記念した展覧会「ザ・ファミリー・オブ・マン」では、世界から選抜された503枚の写真作品の1枚目としてウィン・バロックの「森の子ども」が展示されました。本展覧会は1962年まで38カ国を巡回し、900万人という記録的な動員数を記録しました。同展に展示されたもう一点の「そこに光あれ」はコーコラン美術館(ワシントンD.C.)の6万5千人のアンケートの結果、最も好きな写真に選抜されています。
1975年当時、ウィン・バロックはすでにアメリカを代表する巨匠であり、日本でも度々、写真雑誌などで紹介されていましたが、オリジナルプリントを見ることができる機会はほとんどありませんでした。写大ギャラリーを設立した細江英公(ほそえ えいこう、1933-2024)は、1972年にアメリカにウィン・バロックを訪ねました。そこでオリジナルプリントを見せてもらい、大変、感銘を受けました。この体験から、日本初のオリジナルプリントを収蔵、展示を行う常設施設である写大ギャラリーの1回目の展覧会としてウィン・バロックの個展を企画しました。個展開催初日には、ウィン・バロックを日本に招待して、写大ギャラリー設立パーティを盛大に行うことを計画しました。しかしこの頃、ウィン・バロックは癌の手術の後で、医者から海外渡航を禁止されており、来日は叶いませんでした。ウィン・バロックのオリジナルプリントは細江の思惑通り、驚きを持って受け入れられ、展覧会は大好評のうちに終了しました。
本展では、写大ギャラリー・コレクションと、清里フォトアートミュージアムのご協力のもと、1975年に展示した35点に新たに作品を加えて展示します。没後50年経つ現在でも、世界各国で展覧会が開催されているウィン・バロックの至極のオリジナルプリントをご覧ください。
〔写真展概要〕
本展は、写大ギャラリー設立50周年を記念して、1975年に写大ギャラリーこけら落としの展覧会として個展を開催したウィン・バロック(Wynn Bullock, 1902-1975)の作品を展示するものです。
ウィン・バロックはアメリカ、シカゴに生まれ、高校卒業後、音楽の道に進むためニューヨークに移りました。1920年代半ばにはヨーロッパにて声楽を学び、プロのテノ―ル歌手として活躍しました。パリに滞在中、印象派とポスト印象派の作品に魅了され、その後、マン・レイ(Man Ray, 1890-1976)やラズロ・モホリ=ナギ(Moholy-Nagy László, 1895-1946)の作品に出会い、写真を始めます。1938年、36歳にしてロサンゼルスのアート・センター・スクールにて本格的に写真を学び、卒業後は商業写真家として活動する傍ら、ソラリゼーション等の実験写真を制作しました。1948年にエドワード・ウェストン(Edward Weston, 1886-1958)に出会い、その影響を強く受け、ストレートな写真に傾倒します。8×10インチの大型カメラを使って、自宅近くの風景を舞台に撮影を行い、美しく諧調豊かなモノクロプリントを制作したことで知られています。
1955年にニューヨーク近代美術館の開館25周年を記念した展覧会「ザ・ファミリー・オブ・マン」では、世界から選抜された503枚の写真作品の1枚目としてウィン・バロックの「森の子ども」が展示されました。本展覧会は1962年まで38カ国を巡回し、900万人という記録的な動員数を記録しました。同展に展示されたもう一点の「そこに光あれ」はコーコラン美術館(ワシントンD.C.)の6万5千人のアンケートの結果、最も好きな写真に選抜されています。
1975年当時、ウィン・バロックはすでにアメリカを代表する巨匠であり、日本でも度々、写真雑誌などで紹介されていましたが、オリジナルプリントを見ることができる機会はほとんどありませんでした。写大ギャラリーを設立した細江英公(ほそえ えいこう、1933-2024)は、1972年にアメリカにウィン・バロックを訪ねました。そこでオリジナルプリントを見せてもらい、大変、感銘を受けました。この体験から、日本初のオリジナルプリントを収蔵、展示を行う常設施設である写大ギャラリーの1回目の展覧会としてウィン・バロックの個展を企画しました。個展開催初日には、ウィン・バロックを日本に招待して、写大ギャラリー設立パーティを盛大に行うことを計画しました。しかしこの頃、ウィン・バロックは癌の手術の後で、医者から海外渡航を禁止されており、来日は叶いませんでした。ウィン・バロックのオリジナルプリントは細江の思惑通り、驚きを持って受け入れられ、展覧会は大好評のうちに終了しました。
本展では、写大ギャラリー・コレクションと、清里フォトアートミュージアムのご協力のもと、1975年に展示した35点に新たに作品を加えて展示します。没後50年経つ現在でも、世界各国で展覧会が開催されているウィン・バロックの至極のオリジナルプリントをご覧ください。
「そこに光あれ」1954 年
「流木」1951 年
「女性とアザミ」1953 年
「指標なき航海」1957 年