- 大阪府立江之子島文化芸術創造センター[enoco] | 大阪府
生誕120年記念 須田剋太展 私は造型になりたい!
- 2026/10/16(Fri)〜11/14(Sat) 開催前
エネルギッシュで生命力あふれる人物画や静物画、そして抽象絵画で知られる画家・須田剋太(すだ こくた)の生誕120年記念展を開催いたします。
須田剋太は1906(明治39)年、埼玉県北足立郡吹上村(現・鴻巣市)に生まれました。旧制熊谷中学校を卒業後、画家をめざして浦和(現・さいたま市)に居住し、独学で絵を学びながら、ついに官展デビューを果たし活躍します。
その後、30代半ばで関西へ移住したことが剋太にとって大きな転機となりました。東大寺観音院の上司海雲との出会いと、そこに集った芸術家たちとの交流、そしてとりわけ画家・長谷川三郎との出会いは、剋太が抽象絵画を描き始めるきっかけとなる大きな影響を与えたと言われています。
須田剋太の生誕120年を記念して開催される本展では、大阪府20世紀美術コレクションの須田剋太作品と、個人蔵の貴重な作品を中心に、関西に移住して以降の須田剋太の絵画作品を抽象・具象あわせて約100点展示し、さまざまな技法と様式で描き続けた剋太の画業を一堂に展観します。
いっときも止まることなく動き続ける生命の活動を、ひとつの静止した形にして取り出すこと——精神の物質化を剋太は「造型」と呼び、それを追求し続けました。剋太が生涯をかけて挑戦した「造型」のすがたを、作品と彼が残した数々の造型論を手がかりにしながらご覧ください。

〈展覧会概要〉
「生誕120年記念 須田剋太展 私は造型になりたい!」
会期 :2026年10月16日(金)~11月14日(土)※月曜休館
時間 :10:30〜18:00 ※最終日のみ13:00まで
会場 :大阪府立江之子島文化芸術創造センター[enoco]1 階 Room 4
※地下鉄中央線・千日前線「阿波座駅」下車、8番出口から西へ約150m。徒歩3分。
入場料:無料
主催 :大阪府立江之子島文化芸術創造センター [enoco]
https://www.enokojima-art.jp/sudakokuta120/
〈関連イベント〉
◎中ハシ克シゲ 講演会「剋太の「造型」をめぐって」
日時 :2026年10月17日(土)13:30〜15:00
会場 : 4階 Room 1 (展覧会場内)
定員 :30名
参加費:無料
剋太の大ファンを自認する美術作家の中ハシ克シゲさんによる講演会。アーティストの目線から剋太の造型観に迫ります。
◎黒宮菜菜 ワークショップ「剋太にまなぶ絵肌(えはだ)づくり」
日時 :10月25日(日)13:30〜15:00
会場 :2階 Room8
定員 :15名
参加費:2,000円(税・材料費込)
蜜蝋を使った油彩画や染料を使った和紙作品など、異なる素材で作品制作をされている画家の黒宮菜菜さんによるワークショップ。油彩とグワッシュで全く異なる表現に挑戦した須田剋太の絵画作品をじっくり観察してから、色や形だけでなく絵のさまざまな表面の質感=「絵肌(えはだ)」をつくることによる作品制作に挑戦します。
■イベントへのお申し込み方法
enoco展覧会webサイトよりお申し込みください(先着順)。
申し込み期間:9月1日(火)10:00〜
※フォームからの申し込みが難しい方は電話にて受付します(電話:06-6441-8050)。
〈須田剋太(すだ こくた)(1906〜1990) プロフィール〉
1906(明治39)年、埼玉県北足立郡吹上村(現・鴻巣市)に生まれる。本名・勝三郎。村立吹上尋常高等小学校卒業後、埼玉県立熊谷中学校に入学するも腎臓を患い3年間休学し、軽井沢で転地療養する。1927(昭和2)年3月、埼玉県立熊谷中学校を卒業し東京美術学校を受験するが不合格。その後も毎年受験を続けるが4度続けて不合格となり、浦和(現・さいたま市)の別所沼のほとりに画室を建てて暮らす。1934(昭和10)年頃、画家の寺内萬治郎に光風会への入会を勧められ、その後光風会や文展等に相次いで入選する。
1941(昭和16)年、憧れていた関西に転居。1942(昭和17)年、第5回新文展で《神将》が特選となる。東大寺観音院住職の上司海雲と出会い、観音院の土蔵の一部を改造してアトリエとして提供してもらう。1946(昭和21)年、奈良に集う美術家や宗教家による「天平乃会」発足に参加。1947(昭和22)年、《ピンクのターバン》が第3回日展で特選となる。翌年、美学者・井島勉の知友による「転石会」の会員となり、画家・長谷川三郎の知遇を得る。この出会いは剋太の造形と精神の双方に大きな影響を与え、抽象絵画へと向かうきっかけとなった。1949(昭和24)年、国画会会員となり1988年に退会するまで毎年出品。翌年に個展を開催して以後、数多くの個展や国際展へ出品するとともに、『書の美』に発表された「原始と書」などの書画論も多く執筆する。1971(昭和46)年、『週刊朝日』ではじまった司馬遼太郎の連載「街道をゆく」の挿絵を担当し、1990年までの約20年間制作を続けた。晩年、埼玉県立近代美術館、飯田市立美術博物館、大阪府にそれぞれ作品を寄贈。大阪府は「街道をゆく」挿絵および抽象画を2,228点収蔵している。
《ピンクのターバン》1947年 キャンバスに油彩
《四重奏》1951年 キャンバスに油彩
《仏頭》制作年不詳 紙にグワッシュ