- 三会堂ビル 1階 | 東京都
その、我々の気持ちだよね。 That, That’s The Feeling
- 2023/6/14(Wed)〜7/1(Sat) 終了
三会堂ビルは、今年解体されます。
その最終章を、アーティストコレクティブのTSUが、約100坪のオフィスフロアを全て貸し切り、フィナーレをお祝いするような機会をいただきました。
三会堂ビルと農林水産省関連の新作で、建物の一部となった作品ばかりです。
素材は、ビルから出た廃材。
個展終了後は、全て破壊されます。
一人でも多くの方に見て頂きたく思い、入場は無料です!
その、我々の気持ちだよね。(2023)
「その、我々の気持ちだよね。」は、アーティストコレクティブ・TSUメンバーの一人 が、三会堂ビルにメガネを置き忘れたことから始まった。導かれるように私たちは、半世 紀にわたるこのビルの物語の節目を祝う機会をいただいた。三会堂ビルは、個展最終日7 月1日をもって一旦幕を閉じる。
作品素材は、金沢金箔以外は全て、三会堂ビルとアーツ千代田3331の閉館時に排出された 廃材を使用した。女性社員が更衣室で身だしなみを整えた姿鏡。雨の日に活躍した傘立て の鍵。清掃用の青いホース。赤坂警察、消防署から授与された表彰状の額縁。年に一度の 出番を待ち地下で静かに眠っていた椅子。毎年11月正面玄関に日の丸と共に掲げられた表 彰式の看板。
これらの廃材には、人々の往来、足音、足跡、エレベーターの上下、そんな営みの全てが 56年の時間をかけて奥深く染み込んでいる。そしてこれらは長年にわたり、管理会社及び 清掃の方々によって隅々まで美しく管理されていた。それぞれが、このビルで働くことに 誇りを持っていたことを裏付けるかのように。
近年も絶えない愛情不足と悲しみが生み出す銃事件、無くならない戦争、加速する温暖化 にSDGs用語の乱用。複雑かつ多くの課題を課せられた現代社会を生きる私たちは、自国の 自給率について考える余裕もなく、スーパーでは安い方を選び、ペットボトルで水を飲 む。リサイクルに出せば、その後のことは知ろうとしない。「その、我々の気持ちだよ ね。」。
目では見えない、手で触れることもできない、今にも消えてなくなりそうな、小さな、で もとても大切な瞬間は、確かに存在する。
「その、我々の気持ちだよね。」は、一人一人の小さな気づきと心がけ、その小さな変化 や活動によって、大きな社会を動かすことが可能であると証明したいのかもしれない。 TSUは、三会堂ビルで働く人々と出会い、彼らの笑顔や度量の広さに触れ、無形の会話の 大切さを体験した。今年の梅雨は、三会堂ビルに想いを寄せる人々の心に寄り添う浄化の 雨となりそうだ。
TSU
三会堂ビルの歴史
三会堂ビルの歴史は、1881年(明治14年)まで遡ります。三会堂ビルの名前の由来は、日 本で最初の全国的団体の元となった、大日本農会・大日本山林会・大日本水産会の三会か ら命名されました。三会の創設者は、吉田松陰の門徒生であった子爵・品川弥二郎氏で、 現在の総裁は、大日本農会・大日本山林会の秋篠宮皇嗣殿下。1891年から現在の三会堂ビ ル所在地に、事務所を構えています。
今まで、4度の建て替えの記録があります。関東大震災で建物は全焼しましたが、大日本 水産会の会員で北洋漁業の先駆者であった石垣隈太郎氏による全財産100万円(現在の価 値で約100億円)の寄附により三会堂ビルは息を吹き返します。第二次世界大戦中は、B29 による爆撃で建物内部を全焼、重要書類は全て焼失。戦後は米軍進駐軍に建物が接収さ れ、GHQ将校の家族宿舎として12年間使われた後解除、三会に無事返還されています。
今日、私達が立っている三会堂ビルは築56年になります。老朽化のため2023年9月から解 体工事が始まり、第五次・三会堂ビルは、この同じ土地で2027年に竣工予定です。
何十年も三会堂ビルの利用者が使った、傘立ての鍵のタグ
何十年も三会堂ビルの利用者が使った、傘立ての鍵
長年三会堂ビルの女子更衣室にあった、姿鏡。
産業廃棄物として廃棄される直前に救出。
毎年11月に正面玄関で掲げられる、表彰式の看板。