- 東京工芸大学 写大ギャラリー | 東京都
阿波根昌鴻写真展「人間の住んでいる島」
- 2024/11/5(Tue)〜1/31(Fri) 開催中
阿波根昌鴻写真展「人間の住んでいる島」
2024年11月5日(火)~ 2025年1月31日(金)
10:00 ~ 19:00
木曜日、日曜日、祝日、
2024年12月26日(木)〜2025年1月5日(日)、
1月16日(木)〜1月19日(日)は連続休館
*ただし、11月23日(土)は 開館
入場料 無料
展示作品 モノクロ写真作品 約50点(予定)
阿波根昌鴻(1901-2002)は、 沖縄・伊江島で米軍に対して非暴力の土地闘争を展開した人物として知られています。沖縄戦から10年後の1955年、伊江島では基地拡大を目的とした米軍により、阿波根らの住む真謝区の住民らは住む場所と農地を奪われ、餓死者を出すに至りました。「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる強制的な土地接収とその後も続いた横暴に対峙するために、阿波根は一台の二眼レフカメラで日々の出来事を記録し始めました。カメラによる記録を抵抗の手段としたのです。阿波根らは島でたった一台しかなかったそのカメラを代わる代わる使い、軍事演習が引き起こす被害や米兵による暴力、「乞食行進」と呼ばれる行脚の様子などを記録し、米占領下で不可視化されていた離島の出来事を可視化しました。やがて支援の輪は、沖縄島だけでなく沖縄と切り離されていた本土にも広がっていきます。
阿波根の著書には、『米軍と農民』(1973年)や『命こそ宝 沖縄反戦の心』(1992年)、唯一の写真集『人間の住んでいる島』(1983年)などがあり、カメラとペンによる詳細な記録が残されています。2002年に亡くなるまで平和の大切さを訴え続けた阿波根は、いつしか「沖縄のガンジー」と呼ばれるようになりました。
東京工芸大学では、『人間の住んでいる島』の編集を手がけた張ヶ谷弘司氏のもとで保存されていたプリントを収蔵すると同時に、残されたモノクロネガフィルム約3600枚をデジタル化し、新たに銀塩プリントを制作しました。ネガの中には、伊江島の日常のスナップや住民たちのポートレイトが数多く含まれており、阿波根が守りたかったものが何だったのかを垣間見させてくれます。写真史的にも稀有な記録をぜひご覧ください。
(企画構成 小原真史)
阿波根 昌鴻(あはごん しょうこう,1901−2002)
沖縄県上本部村(現本部町)生まれ。農業移民としてキューバやペルーに渡り、1934年に帰国。雑貨店経営の傍ら農民学校の開校を目指して土地を買い求めるが、戦争と戦後の土地接収により中断。1955年からは伊江島住民を率いて土地闘争を始め、のちの「島ぐるみ土地闘争」への端緒を開く。1984年、「反戦平和資料館ヌチドゥタカラの家」「やすらぎの家」からなる「わびあいの里」を設立。著書に『米軍と農民』(岩波新書、1973年)、『人間の住んでいる島』(私家版、1983年)、『命こそ宝 沖縄反戦の心』(岩波新書、1992年)がある。1994年、沖縄県功労賞を受賞。2024年、「写真と抵抗、そして島の人々」展(原爆の図・丸木美術館)でさがみはら写真賞を受賞。